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富田将馬を支えた恩師の存在。中学に部活がなかった少年をつなぎとめた2人だけのパス

 昨季のVリーグでは東レアローズの主力を張り、レシーブ賞にも輝いた富田将馬。今年度は男子日本代表に帯同し、出場機会をつかんでいる。その富田の成長を支え、今も熱いまなざしで見守る恩師がいた。

<富田将馬(とみた・しょうま)/1997年6月20日生まれ/身長190㎝/最高到達点345㎝/東山高〔京都〕→中央大→東レアローズ>

 

中学時代は陸上競技部だった富田

 

 小学4年生からバレーボールを始め、中学時代は東レアローズのジュニアチームである「アローズジュニア」で、高校は京都の名門・東山高、大学は強豪・中央大でプレーしてきた富田。一見すれば、着実にキャリアを積んできたように思えるが、実のところ一度は競技を離れ、学業に専念しようと考えた時期もあったという。中学時代の記憶を、富田はこう振り返る。

 

 「地元に、バレーボールに力を入れているチームがなかったんです。部活もなかったので、中学で競技を続けるのは難しいかなと思っていました。心の中ではずっと、バレーボールをやるんだという思いを持っていたのですが…」

 

 バレーボールを始めたときから、ボールを落とさずにつなぐというチームスポーツである点に魅力を感じた。体力づくりのために、と中学では陸上競技部に入部したが、その思いはゆるがない。そんな富田に声をかけたのが、結果的にアローズジュニアで“師弟関係”を結ぶことになる、渡邉秀一さんだった。

 

<長年、アローズジュニアで指導に携わる渡邉さん(左/写真は2021 Vリーグジュニア選手権Bブロック大会)>

 

「とにかく素直でまじめだった」(渡邉さん)

 

 きっかけは富田の母親からの相談だった。静岡県三島市のクラブチームに所属していた小学生時代の富田のことを、その当時から渡邉さんは知っていたが、聞けば中学にバレーボール部がない。渡邉さんは出身である日大三島高の卒業生たちによる「東桜倶楽部(とうおうクラブ)」というチームをつくって三島市で活動しており、そこでの「練習に参加させてもらえませんか?」という連絡があったのだ。

 

 東桜倶楽部自体は中学生世代のチームではなく、都合のあう大人が集まっては練習するというもの。そこに中学生の富田を迎え入れた。渡邉さんは当時を懐かしむ。

 

 「そんなに多くを語らない子どもでした(笑) ですが、私が指導してきた教え子の中でも、いちばんまじめ。アドバイスをすれば、それを素直に受け止めて、ひたむきに取り組んでいた印象です。

 

 体の線は細かったですし、それこそオーバーパスもできなくて、キャッチ(ホールディング)のようなかたちになっていました。スパイクも強く打てていませんでしたし…。ただ、体の使い方はすごく上手でしたね」

 

 練習は週に1度。それも東桜倶楽部が体育館を使用するのは夜の7時半から9時半の2時間ほどだったが、そこに通う時間こそが、中学に部活がない富田にとって「バレーボールを続けるきっかけ」となるには十分だった。

 

<2019年11月取材時、アローズジュニアの練習に足を運んだ富田は後輩たちの質問にたじたじ>

 

>>><次ページ>めきめきと上達したレシーブ力

<サーブにも磨きがかかり、コート上ではオールラウンドな活躍を見せる>

 

めきめきと上達したレシーブ力

 

 日によっては体育館に足を運ぶと、渡邉さんと富田しかおらず、8時頃になっても「誰もこないね」と笑っては2人でボールをつないだ。できることといえば対人でのパスがもっぱら。ネットを張っていたため、サーブもスパイクも練習することはできたが、レシーブ練習にいちばん時間を費やした。

 

「言われたことを言われたようにやるので、どんどんレシーブはうまくなりました。そのときの基礎が今につながっている、と私が言うとおこがましいですが、最後は大人たちの見本になるくらい。それほど上達しました」と渡邉さん。レシーブのポイントを聞くと、「まずは上目遣いでボールを見ること。すると、落下点に入れます。そして、最初は手を動かさないように」とのことで、それは富田が今も、基本に立ち返るときに大事にしていること。

 

 2021-22 V1男子のレシーブ賞受賞者は、「とにかくボールの下に早く入って、あとはセッターに対して、腕の面をしっかり作れば、ボールが返ります」と語るものだ。

 

<2021-22 V1男子で自身初のレシーブ賞に輝いた>

 

東レ、そして日本代表の姿を見て

 

 そんな関係は2年間続き、中学3年生時に富田はアローズジュニアに入団。やがて富田はさらに成長し、恩師の元に帰ってくる。そこには“師弟関係”ではなく、年齢を隔てた“友情関係”があった。そのときの様子を振り返る渡邉さんの声のトーンが上がる。

 

 「大学時代もユニバーシアード代表に選ばれた際に、東レアローズに合宿にきたことがあって。日の丸のついたユニフォーム姿で一緒に写真を撮りました。

 

 私はいつもアローズジュニアの選手たちに言うんです。チームを卒業した時点で、『指導者と選手』ではなく『仲間』になるんだ、と。将馬に関して言えば、僕が彼のいちばんのファンだと思っていますから(笑)」

 

 かつて、夜の体育館で2人きりでパスを行い、ジュニアチームのユニフォームを着ていた少年が、今はトップチームのユニフォームを着てコートの上で躍動している。東レのホームゲームの運営に携わる中、渡邉さんはその姿を見たときに胸が震えた。

 

 「夢が一つかなった瞬間でしたから。将馬のプレーを見たときに、もう涙が止まりませんでした。素晴らしい選手になったな、って。

 

 彼の魅力はやはりレシーブとサーブ。その強みを発揮して、日本を引っ張ってもらえるような存在になってほしいです。石川祐希選手のようなスターにはまだまだ及ばないのかもしれませんが、縁の下の力持ちとなる、チームにとって絶対に必要な選手として日本を背負ってもらいたいです」

 

 いつだって見守っている。そして、これからも夢はふくらむばかりだ。

 

<今年のFIVBネーションズリーグでシニア代表として国際大会デビューを飾った(写真:FIVB)>

 

(取材・文/坂口功将〔編集部〕)

 

>>><次ページ>【ギャラリー】熱いぜ!! 東レアローズ 2021-22シーズン

 

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