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大友愛 田舎の自然児が バレーボールにのめりこむまで

幼少期はザ・昭和の田舎の子

 

 

子どものころは、家族と山に山菜を取りに行ったり、お父さんが海に釣りに行くのについていって遊んだり、学校帰りに友達と林の中に入って行って木登りしたり、そういうザ・昭和の田舎みたいな感じで自然児として育ちました。

 

 外で遊ぶ毎日が楽しくて、けっこう忙しかった(笑) ので、家に帰ってお風呂に入って夕食を食べると、もう眠たいという感じ。小学生のころ、うちでは子どもの就寝時間が8時だったので、テレビもほとんど見ていないんです。だから、次の日学校に行っても、「昨日のドラマ見た?」という会話にはまったくついていけなかった。といって、それが悲しいわけではなく、ドラマやテレビ番組にあまり興味のない子どもでした。

「寝る子は育つ」と言いますけど、私はよく寝る子どもだったと思います。テレビもあまり見ないし、家でゲームをするより、家族や友達と外で遊んでいるほうが好きでしたし、ごはんを食べたら疲れて寝ちゃうんですから、そりゃあ健康に育ちますよね(笑)

 

母と祖母の手料理で育ちました

 

 食が細いというか、一度にたくさん食べることができないタイプで、高校生くらいまではガリガリに痩せていたのですが、食べることは大好きでした。大盛りを食べられないから、分けて食べるみたいな(笑)

家ではわりと早い時間に夕食を済ませていましたが、母は皆が食べているときは給仕をしてくれて、自分は後片付けが終わってから1人で遅い夕食を食べていることが多かったんです。そんなとき、母が食べているものがすごくおいしそうに見えちゃって、2回目の夕食を食べることがありました。母と2人で、キッチンで立ったまま食べていたこととか、懐かしい思い出です。

大好きだった祖父母の家が近かったので、休みのときは泊まりに行って祖母の手料理を食べていました。どちらかというと和食中心の食生活で、山で採ってきた山菜とか、お父さんが釣ってきた魚を、お刺身にしたり、焼いたり煮たりして、おいしいおいしいと食べていた記憶があります。生活圏内にハンバーガーやドーナツショップもなかったから、テレビで見るようなジャンクフードなどは食べたこともなかった(笑)

裕福な家庭ではなかったから、贅沢なごちそうとか、レストランで外食なんてめったになかったけれど、今思えば、季節ごとに地元の食材をきちんと料理して食べさせてもらっていたのだと思います。

 

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小学4年の転校で高身長を意識

 

 小学校4年生のときに、田舎の学校から、ちょっとだけ都会の学校に転校したんです。もともと身長は高かったんですけど、田舎の学校では誰も気にしなかったのに、都会の学校では「大きいね」と言われるようになりました。生まれたときから一緒に育った幼馴染にとっては、大きな私が当たり前だったけれど、都会の学校では、田舎から転校してきた大きな女子だったんでしょうね(笑)

 低学年のころから、整列すると一番後ろか、後ろから2番目で、女性の先生と同じくらいの身長が私にとっての当たり前。でも、転校して、あまり大きい大きいと言われたので、「大きいとダメなのかな」「大きいの嫌だな」と悩んだ時期もありました。スポーツと出会ってもいなかったので、自分の体格を生かす方法もわからなかったですから、ちょっと辛かったです。

 

マラソン大会での逆転優勝

 

 スポーツを意識したのは、転校先の小学校でマラソン大会に出たときが初めてかな。年に3回くらいマラソン大会のある学校だったんです。田舎育ちの私は走ることが得意だったので、優勝したいと思って練習しました。毎日、夜に弟を連れて走るんです。街灯とかない真っ暗の道なので、弟は自転車に乗ってもらって、私は頭に父の釣り用のライトを付けて、弟の自転車のライトと、自分のヘッドライトを頼りに走っていました(笑)

 おかげで、転校して初めてのマラソン大会で1位になったんですよ。それも4年間無敗だった女の子を最後の最後で抜いたんです。その快感が忘れられなくて(笑) 次も絶対優勝する、みたいな感じで特訓は続きました(笑)

私が一生懸命マラソンの練習をしていたので、テレビでマラソン中継があると父が見せてくれたりして、マラソン選手になりたいなと思う時期もありました。

 

バレーボールとの出会い

 

 バレーボールを始めたのは、中学校1年生のとき。入学して、帰宅部なんてなかったから、自分が入る部活動を決めなくちゃいけなかったんです。仲のいい女子の集団があって、その子たちがみんなバレー部に入ると言ったので、じゃあ私も入ろっかな、みたいな(笑) 極めて普通の始まり方です。

身長が高かったので、バスケットボール部の顧問の先生からも声をかけられましたが、バスケって体当たりするし、ボールも大きくて硬いし、とにかく怖いイメージがあったので断りました(笑) バレーボールは相手とぶつかるわけではないし、ドッジボールみたいな感覚で楽しくできるかな、って(笑)

そんな調子でしたから、1年生のころは部活にのめり込む感じではありませんでした。ずる休みもしていましたし(笑) 市大会どころか、区大会の1回戦で負けてしまうようなチームだったので、見よう見まねでバレーボールみたいなことをやっていた感じでした。

 

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素晴らしい指導者との出会い

 

ところが、2年生のときに強いチームを指導していた先生が転任されてきて、私たちのバレーボール部の顧問になって、部活の練習が一変したんです。バレーボールの基本どころか、あいさつや礼儀、整列の仕方に声の出し方など、部活動の基礎みたいなところから再スタートしたわけです。最初は、はぁん? 何で並ばなきゃいけないの? 何でいちいち返事しなきゃいけないの? みたいな(笑) でも、正しい指導をしてもらえばどんどん上達するので、だんだんバレーボールが楽しくなってきて、そのうち厳しくないと物足りないみたいな雰囲気になっちゃいました(笑)

 何だろう? それまでの自分はバレーボールに対してまっさらな状態だったので、アンダーパスもオーバーパスも、正しい形を教えてもらうだけでも新鮮でしたし、狙ったところにうまく返せるだけでうれしいわけです。正解を示してもらって、明確な目標が設定されることで、やる気が出るんですよね。簡単にはできないから練習量も増えるし、大変なんですけど、できたときの達成感が違うんです。少しずつですけど上達して、みんなで支えあうとか、励ましあうとか、チームスポーツの魅力がどんどん膨らんでいきました。

私は、いい指導者との出会いによって、どんどんバレーボールの魅力にはまっていった感じがします。


全国都道府県対抗中学バレーボール大会に宮城県代表として出場(中学3年生)

 

バレーボールにのめりこんだ中学2年

 

中学校のバレーボール部には、私と、もう1人、身長170cm以上の2年生がいたのですが、先生から「2年生の2本エースでいくぞ」と言われました。3年生の先輩ではなく、2年生の私たちをメインのチームにしてくれたことで、私はますますバレーボールにのめり込みました。そこから1年半で県大会まで行けるくらいにチームを強くしてくれた先生なのですが、あのころは部活動がほんとうに楽しかったです。小学校でもクラブ活動があって、卓球やバドミントンなど、いろんなクラブに入ってはいました。けれども楽しさがわからないまま、前期が終わると、後期は家庭クラブか演劇クラブに入ろうかなという感じで、ぜんぜん続きませんでした。

 

 私には、もともとバレーボールという競技が向いていたのかもしれませんが、バレーボールのほんとうの魅力を知ることができたのは、中学のバレーボール部の監督のおかげなのだと思います。

 

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