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やらされるよりも、自分で「うまくなりたい」と思ってもらえる練習を 新鍋理沙さんインタビュー

  • V1
  • 2022.09.08

 

Vリーグに所属する各チームは、普及活動も兼ねてジュニアチームを持ち、多くの子どもたちに指導している。近年はジュニアチーム出身のVリーガーも生まれているなか、V1女子の久光スプリングスも「スプリングスアカデミー」を開校しており、コーチやOG、トレーナーによる指導を受けることができる。同アカデミーのスペシャルアドバイザーを務める新鍋理沙さんによる小学生を対象にしたバレーボールクリニック「はじめまして、新鍋りさです!」(https://lp.saga-springs.co.jp/新鍋理沙バレーボールクリニック)も開始が発表された。ここでは新鍋さん自身の子ども時代の話や、子どもに指導することが増えて感じていることなどを聞いた

 

――まずは新鍋さんの子どものころを振り返ります。バレーボールを始めたきっかけを教えてください。

私の両親はバレーボール経験者で、小学校のバレーボールチームの監督をしていました。私が幼稚園のころにはすでに監督をしていたのですが、両親が練習に行く間、1人でお留守番をするのがイヤだったので、ついて行っていました。といっても私は体育館でボール遊びをしたり、1人でアンダーハンドパスが何回続けられるかやっているだけでしたが、とても楽しかったです。そんな経緯もあって、小学校に入学すると、自然とチームに入ってバレーボールを始めました。

 

――当時の憧れの選手は?

小学生のころは大懸郁久美(現姓・成田)さんですね。日本代表でプレーされていたときで、身長がすごく高いわけでもないのに、たくさんスパイクを決めているところをテレビで見て、「ちっちゃいのにすごい!」と思いました。

 

――小学生のころはどんなお子さんでしたか?

小学4年生のころの話です。私の母はママさんバレーでプレーもしていたので、当時のチームメートのママさんたちが、休みの日にお手伝いに来てくれて、私たちと練習ゲームをしたことがありました。もちろんママさんたちの方が強いじゃないですか。でも負けたときに、私はすごく悔しかったんです。今振り返ると、そのころからすでに負けず嫌いだったのだと思います。当時の記憶ってたくさんあるわけではないので、どういう練習をしていた、とかあまり覚えていないのですが、負けてすごく悔しかったっていうことは覚えていますね。

負けず嫌いエピソードは他にもあります。ある日、お父さんが手品を見せてくれたんです。手品といっても、親指が伸びますっていう子どもだましみたいなものです。でも、それを見たときに、なぜ伸びるのかどうしても分からなかったんですね。それが悔しくて、泣いていました。

 

――小学生のころ印象に残っている試合はありますか?

小学校5年生のころに、両親が監督していたチームから鹿児島の国分南小学校というチームに移ったのですが、小学校6年生のときに全国大会(ペプシカップ)に出場しました。ベスト8で峯村沙紀ちゃん(九州文化学園高でインターハイ、国体優勝などを経験し、東レ・NECで活躍。2020年引退)のいる、長野の小布施スポーツ少年団と対戦した試合が印象に残っています。結構接戦だったと思うですが、負けました。

私は当時160cmくらいで、自分より大きい人とあまり出会ったことがなかったんです。だから当時175cmあった峯村沙紀ちゃんの印象が強すぎて、とにかく「デカい! スパイクもすごい威力だし、同じ歳ですごい人がいるんだ」と感じたことが、その大会で一番の衝撃でした。

 

ペプシカップに出場した国分南小時代の新鍋さん(左下・月刊バレーボール2002年10月号より)

 

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