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マシンガンズの西堀亮さん あきらめずタネをまき続ければいつか花開く。~わたしとバレーの話スピンオフ前編~

「THE SECOND」で準優勝し、大活躍中の西堀亮さん(マシンガンズ)

 

 バレーボールと縁のある方に「あなたにとってバレーボールとは」というテーマでお話を伺う月刊バレーボールの人気連載「わたしとバレーの話」。

 

 今回はWeb版の特別編。本誌とはテーマを変えて「バレーボールで培った経験が今にどのように生かされているのか」を、マシンガンズの西堀亮さんに伺いました。

 

 5月に行われた漫才の大会「THE SECOND」で見事準優勝となった西堀さん。実は中学、高校とバレーボール部に在籍し、Vリーグも熱心に観戦してきたバレーボールファンなんです! 「THE SECOND」終了翌日の凱旋ラジオとなった「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」でも、バレーボールの話題が飛び出して…。今回は、ご自身のバレーボール歴に加えて、競技を通じて学んだこと、バレーボールの魅力などをたっぷりお話しいただきました。

 

——西堀さんとバレーボールとの出会いは? 

 

西堀 中学、高校とバレーボール部に入っていました。

 

 ちょうど中学に入学するとき、バレーボール部だった女の子のいとこがいて、北海道でも全道大会に出るくらい強かったんです。それを見て“おもしろそうだな”と。そのまま高校に入っても続けました。

 

 今、身長175cmあるんですが、173cmくらいまでは身長が伸びるのが早くて(笑) 中学生にしては身長が大きかったのでセンター、今でいうミドルブロッカーでした。高校もその流れでミドルをやりました。小さかったですけどね。

 

 実は、初めてのバレーボール観戦は小学校時代。札幌まで大会を見に行った記憶があります。小柄でジャンプする佐藤伊知子さん(元・日本代表)のプレーを覚えています。そのころから女子バレーはボールが落ちなくてラリーがおもしろいな、と思っていたんです。

 

 高校を卒業してしばらくバレー熱は冷めていたのですが、エレファントジョンというコンビを組んでいた森枝くん(ガッテン森枝氏)がバレーボール大好きだったこともあり、誘ってくれて見に行くようなったら、その魅力にとりつかれて…。春の高校バレーも見に行きました。

 

 当時は月刊バレーボールも買っていて、そうするとVリーグだけではなく、高校バレーの情報も知りたくなってくるんですよ。「そうか、東京の女子には4つ強い高校があるのか…。八王子実践、共栄学園、下北沢成徳、文京学院大女…」なんていろいろな知識も増えていきました。そのころ、たまたま葛飾区でロケのお仕事があったのですが、共栄学園を見つけて僕一人だけ「おー、ここが共栄か!」って、興奮したりしていましたね。周りのみんなは興味ないのですが(笑) 

 

【次ページ】元・東レアローズの高田ありさ選手が好きだった

 

バレーボール愛を笑顔で語る

 

――5月に放送された「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」(以下サンドリ)でアシスタントを務めていらっしゃるときに、リスナーからのお手紙で「バレーボールが好きで、高田ありさ選手(元・東レアローズ)が好きだった」とコメントされていました

 

西堀 そうなんですよ。めちゃくちゃはまっていた時期に、高田ありささんとツイッターで直接やり取りできたときは、もうねぇ最高でした(笑) 僕、身長180cmに届かないアウトサイドヒッターが好きなんですよ。特に、サーブレシーブのできるアタッカーに魅力を感じていて、高田さんのプレーも大好きでした。

 

 Vリーグのよさは、ファンと選手の距離が近いところ。目の前で大迫力のプレーが見られるだけでなく、選手の皆さんもフランクに接してくださって。そうすると好きな選手も増えて、観戦への熱が高まって…、という感じでした。

 

 そうすると、応援しているチームだけではなく、相手チームのことも知りたくなって、いろんな選手のことを知り始めると、(その選手が)移籍しても楽しいんですよね。「これは意外だねぇ」とか「退団情報に“引退”って書いていないから海外へ行くのかな、移籍するのかな?」なんていろいろ想像したりして。

 

――すごいですね…! ちなみに最初からVリーグファンだったのですか?

 

西堀 最初は日本代表で木村沙織選手のプレーを見て、東レが好きになり…、という流れでした。

 

 いちばん見ていたのは、高田ありささんがいた東レアローズ。当時選手だった皆さんは引退されて、今は日本代表は古賀(紗理那)選手がキャプテンの“古賀時代”ですもんね。当時はルーキーで、熊本からまたすごい選手が出た、と注目していました。

 

 Vリーグ観戦にどはまりしていたときは、V2の試合も見に行っていましたね。江戸川区とか(笑) 関東近郊でやる試合は、とにかく行ける限り、埼玉あたりまでは足を運んでいました。森枝君に誘われて「なんでこんなとこまで行かなくちゃいけないんだ」なんてぶつぶつ言いながら、内心とても楽しみにしていたりして(笑)

 

【次ページ】ロンドンオリンピック銅メダルを取った試合は印象に残っています

 

Vリーグから日本代表まで心を揺さぶられた試合はたくさんある

 

――印象に残っているシーンや出来事は?

 

西堀 Ⅴリーグでは、久光スプリングスが強すぎたという印象があります。鬼みたいな時期、ありましたよね(笑) どうやれば勝てるんだろうって、攻略法を考えたりしていました。あのときの久光はオーラもすごくて。控えの選手が出てきてもそん色なくて、選手層も厚かったですから。

 

 あとは、岡山シーガルズの河本(昭義)監督も印象に残っています。僕がバレーボールを見始めたころ、宮下(遥)選手はまだ高校生だったのかな? 生意気ですけど僕も、自分の選手という感覚で(笑) 身長もあるし、いいセッターになるだろうな…、絶対に日本の女子バレーのために育ててほしい、と思っていました。

 

 日本代表の試合では、木村沙織選手がエースで大活躍したロンドンオリンピックで銅メダル。いちばん印象に残っているのは中国に勝った試合で、あの試合は江畑(幸子)さんが大活躍して、3位決定戦の銅メダルポイントは迫田(さおり)さんでしたよね。迫田さんは前衛よりバックアタックのほうが得意というのもすごく不思議でしたし、“そんな選手いるんだ”とびっくり。助走を長くとって、ジャンプして前に跳んでもいいからですかね…? バレーボールを見ながら、そういうことを考えるのも楽しい。

 

 観戦しているときにも、多少なりプレーしていたからこそわかるすごさもあります。自分の真後ろからトスが上がってきて、それを打ち切るとか、あのすごさは、プレーしていた人間だとすごくよくわかると思います。日本代表やⅤリーグの選手はいとも簡単にプレーするからあまり伝わらないかもしれないんですけど、あれはなかなかできないですよね。かっこいい。

 

西堀 亮(ニシホリ・リョウ)

お笑い芸人。1974104日生まれ、北海道出身。滝沢秀一と共に1998年にお笑いコンビ・マシンガンズを結成。バラエティ番組のほか、俳優としても活躍。今年5月に行われた漫才の大会「THE SECOND」で準優勝となり注目を集める。芸人だけでなく、一般社団法人発明学会に所属し、発明品を開発。商品化された「靴丸洗い洗濯ネット」が発売中

 

【後編はこちら】

【次ページ】西堀亮さん(マシンガンズ)のその他の写真

 

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