
川内商工高(鹿児島)男子バレーボール部を13年間率い、全国の常連校へと押し上げた田代博明監督の、種子島高への異動にともなう送別会がこのほど開かれ、会場には選手、OB、保護者ら関係者約150名が駆けつけた。笑いあり、涙ありの温かな時間は、田代監督の人徳と川内商工高で積み重ねてきた功績の大きさをあらためて感じさせる一夜となった。
2014年(平成26年)の監督就任以来、2017年度にはインターハイと春高への初出場をつかみ取り、2021年以降は5年連続で全国大会出場を果たしてきた。2023年はインターハイベスト8、2024年度も春高でベスト8と、全国の強豪校の一角に食い込んで、いざ頂点へ――。期待が高まっていたタイミングでの離任だけに、惜しむ声は尽きなかった。
保護者会の久保田仁会長は「田代先生を日本一の監督にしたかった」と率直な胸の内を明かした。卒業生代表としてあいさつしたフラーゴラッド鹿児島の坂元健人は「学校史上初のインターハイと、春高出場が大きな思い出。卒業後も気にかけていただき、今こうしてバレーボール選手として活動できている。川内商工を離れられるのは寂しいですが、今後のご活躍を期待しています」とエールを送った。
合宿等で切磋琢磨してきた大分南高の柿原茂徳監督、佐賀学園高の蒲原和孝監督、東福岡高の藤元聡一監督からもメッセージが届けられた。12年間にわたり田代監督を支えてきた西綾澄コーチは「先生のおかげで、薩摩川内市が“バレーのまち”になった。鹿児島でこれほど大規模な合宿ができるのかと、先生の人脈、人間性を思い知りました」と、その存在の大きさをかみしめた。
教え子たちからも、思いのこもった言葉が次々に寄せられた。「自分たちの代では結果を出せなかったが、ていねいに指導していただき、礎を築けたのではないかと思う」「ジュニアのころから田代先生のバレーが大好きで、まさか先生のもとでプレーできるとは思わなかった。幸せな3年間だった」「全国で注目されるチームになれたことがうれしい」「今度は種子島で一緒に釣りをしましょう」。厳しくも愛情深い指導者像が浮かび上がるなか、「田代先生の本気のご指導が、僕らの人生を変えました」という言葉が、ひときわ印象を残した。
「せんだい」商工の名を広めた名将
指導者として歩んだ29年間。鹿屋工高、隼人工高、鹿児島商高、そして川内商工高——。田代監督はその道のりを振り返りながら、「ここまでやってこられたのは、ついてきてくれた保護者、選手たちのおかげ」と感謝を繰り返し、「地方でも、どこでも日本一になれる。そう思ってやってきました。でも何かが自分に足りなかった。申し訳ありません」と頭を下げた。
高速コンビバレーを打ち出し、川内商工の名を全国区へと押し上げた。「代表者会議などで『かわうち商工』と呼ばれるのがつらかった。どこへ行っても『川内商工だ』と言われる学校にしたかった。名前の通りの学校になりました」と語った言葉には、チーム強化だけでなく、学校の存在感を高め、地域に貢献したいという思いがにじむ。薩摩川内市はバレーボール男女日本代表の合宿地としても知られるが、そのお膝元のチームとして、申し分のない成長を遂げてきた。
その一方で、競技に人生を懸けてきた指導者としての葛藤ものぞかせた。「日本一を目指してやってきたが、息子(田代理貴/東福岡高→愛知学院大4年)に先を越された。悔しさとうれしさの両方がありました。家族、とくに家を守ってくれた妻には感謝しかありません」。そして最後は、こらえきれない思いがあふれた。「離れたくないです。もっとやりたかったです。すみません。現役生、頼んだよ。川内商工は終わらない。また新しい川内商工男子バレーボール部ができると思います。チームは走り続けます。どうか応援し続けてください。支え続けてください」と、未来を託した。
日本一には届かなかった。だが、その道のりのなかで田代監督が選手たちに与えたものは、勝敗の先にある大きな財産となった。「先生からは日本一以上のものを与えていただいたと思っています」。卒業生の言葉が熱く心に響く。13年間、情熱を持って指導し、川内商工高を全国の高みへと導いた田代博明監督。その火は、薫陶を受けた選手たちの胸の中に、赤々と灯り続ける。
文/泊 亜希子 写真提供/川内商工男子バレーボール部保護者会
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