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東京GB後藤陸翔が近畿大で着けた背番号「11」の秘話。WD名古屋のあの先輩に「もらったんですよ。ください、って」

 バレーボールのVリーグ男子、東京グレートベアーズに新加入したアウトサイドヒッターの後藤陸翔。つい昨年12月まで近畿大で大学生活ラストシーズンを戦っていた彼は背番号「11」をつけてプレーしていた。背番号を変更してまで欲しかったユニフォーム。そこにあった後輩と先輩の物語が今、明かされる。

 

 

後藤陸翔(ごとう・りくと/身長187㎝/最高到達点335㎝/新田高〔愛媛〕→近畿大4年、東京グレートベアーズ/アウトサイドヒッター)

 

 

昨年12月の天皇杯ファイナルラウンドで快進撃を演じた近畿大

 

 後藤陸翔には2学年下の後輩、熊谷航との間にお決まりの儀式がある。いよいよ試合が始まる直前、同じタイミングでユニフォームに着替え、その際、短くカットしたテーピングを熊谷の手で胸番号の下に貼り付けてもらう。それでキャプテンマークを仕立てるのだ。

 

 昨年1210日、2人はそこでこんな会話を交わした。

「これが最後じゃないで。お前、最後やと思ってるやろ?」

「思ってないですよ!!

「今日、勝つで。来週もあるからな」

 この日は天皇杯全日本選手権大会ファイナルラウンドの準々決勝。大会初日から連日、V1勢を撃破した近畿大は、昨季Vリーグ王者のウルフドッグス名古屋との大一番に挑んだ。勝てば大学バレー引退は翌週に持ち越される。もちろん勝つ気で臨んだが、競り合ったものの敗れる結果に終わった。

 

 その試合中、心なしか後藤はキャプテンマークに手をやっているように見えた。縫い付けやプリントではなく、テーピングのため試合後に剝がれていることもしばしば。体を投げうってプレーした証しとも言えるが、「ルール上は大丈夫なのかな?」と本人も不安を覚える。

 けれども、結果的に大学生活最後の試合となったこの日は、背番号11の下にキャプテンマークがついていた。

「ほんとだ、確かに剥がれてない。なんでだろう、触っていたかは覚えてないです。でも、中野倭のオーラに触れていたのかも(笑)」

 

 ネットを挟んで、WD名古屋のコートにその姿はあった。近畿大の2学年上の先輩である中野。後藤にとっては、特別な存在だった。

 

 

ジャイアントキリングを予感させた天皇杯ファイナルラウンド準々決勝

 

 

後藤の練習に付き添った中野

 

「自分が大学に入ったときに、(中野)倭さんが練習からすごいハードワークしてたんです。その姿を見て、自分もああなりたいと思いました」

 入学してから間近で接してきた。ポジションは後藤がアタッカー、中野がセッターで異なるものの、“託すもの・託されるもの”としてコンビを合わせてきた。加えて、当時を振り返り「全然、結果が出なくて!!」と嘆くほどサーブレシーブに悩む後藤の練習に付き添い、助言をしたのも中野だった。

 

 そんな存在だったからこそ、キャプテンを務めた中野が卒業し、後藤は大学3年目を迎えるにあたって決意を胸に持ちかけた。

「やっぱり自分の憧れだったので。メンタルの持ちようや練習の取り組み、意識の高さを尊敬していました。なので…、もらったんですよ。ユニフォームください、って」

 

 

学年は2つ違い。お互いを、やまと、りくと、と呼び合う仲。写真は昨年夏の近畿大オープンキャンパス特別試合「現役vs.OB」

 

【次ページ】譲り受けるにあたって背番号を1から11に変更

 

試合前に背番号「11」のユニフォームを手にとる後藤

 

 

譲り受けるにあたって背番号を1から11に変更

 

 後輩の打診にうれしさを覚えたのは、当の中野本人。そのときの記憶を呼び起こすに、相談の仕方はもっとラフだった。

「ユニフォームどうする? 持って帰るか~、みたいな話をしているなかで、(後藤)陸翔が『俺、それ着たい。置いていって』みたいな感じで。監督にも確認してオッケーもらえたんで、持っていた2枚ともあげました。

 そう言うてもらえたのは、素直にうれしかったです。こんなボロボロでエエんかな? って思いましたけど。もっと穴あけておけばよかった(笑)」

 近畿大の部員が所持するのは一人2枚。1年生にその時点の空き番号が割り当てられると、原則は引退するまで着用する。卒業すれば自分のもの。次を担う部員は新しく自分用にユニフォームを購入することになる。

 

 中野がつけていた「11」は、これまでにキャプテンがつけていた実績もある番号だった。とはいえ、「いつでもキャプテンを交代できるように(笑)」と中野はキャプテンマークをテーピングで施した。

 後藤自身、入学当時は近畿大でどちらかといえばエースナンバーである「1」を与えられ、最初の2年間を過ごしている。そうして憧れの先輩から【実着用、ただしキャプテンマークなし】のユニフォームを譲り受けたというわけだ。

 

 

近畿大のエースそしてキャプテンとしてブルーのジャージをまとった

 

 

追いかけるようにキャプテンに就任した後藤

 

 下級生時からレギュラーを務めていた後藤だったが、いざ「11」を着けてプレーするうちに、最終学年に懸ける思いが強くなった。

「振り返れば、倭さんが卒業してからかもしれません。キャプテンやりたいな、って意識し始めたのは。

 近畿大は全員が寮生活なのですが、私生活やふだんの言動をお互いを見ているし、見られてもいる。だからこそコートの中でも外でも立ち居振る舞いが大事になってきます。シビアなことを言うときだって出てくる。

 それに、どうしても部員が多いので、パフォーマンスのレベルに差はあるわけです。でも倭さんはたとえレベルが及ばない選手でも、見捨てることなく接していました。それがやっぱりすごかった。いざ自分がキャプテンをやってみると、練習一つとっても苦労しましたから」

 

 卒業してもなお、尊敬は増す一方だった。そんな後輩の姿を、同じキャプテンの先輩として中野は当時、このように見ていた。

「あの代を見ると、やっぱり陸翔がキャプテンをやるだろうな、と思っていましたよ。プレーも、人柄も。

 あいつね、ストイックなんですよ。表現は悪いですが、“変わり者”レベル(笑) でも、そういう選手こそ先頭に立ってまえ、が僕の考え。『お前の色のチームにしろ。行くとこまで行ってしまえ』と伝えました」

 

 

役割を確かめるように、時折、キャプテンマークに手をやる姿が

 

【次ページ】バレーボールをするために、ここにきた。その思いで通じたからこそ

持ち前の熱さを全開にして、コートに立つ

 

 

バレーボールをするために、ここにきた。その思いで通じたからこそ

 

 お互いの声を聞くかぎりは、2人の間に熱い絆を感じさせるが、実際のところ先輩側が抱いた第一印象は「変なやつ」。中野の記憶はこうだ。

「陸翔は高校時代から愛媛のスーパーエースで、全国的にも知られた存在で。こちらとしては入学前から早よ合流してほしい、って言うてたんです。でも、いざ来て一緒にやってみたら、ストイック過ぎて引きましたもん」

 

 後藤自身は、おそらく誰が見ても人懐っこい性分だ。一方で、バレーボールになると人が変わる。

 近畿大は、部活は部活であると同時に、プライベートはプライベートで十分に時間がある、という風土だった。だが中野の目に映る後藤の姿は、それを許さないもの。

「もちろんバレーボールに対しては、僕らも真剣ですよ。でも、遊ぶ時間も許容されていることが、おそらく陸翔は受け入れられなかった。『自分はバレーボールをするために、このチームに来たのに』という雰囲気がめちゃくちゃ出ていましたから。それくらい、ストイックだったんです」

 

 とはいえ、コートに立てばコンビを合わせながら、一緒に勝利を目指す。そもそも寮生活でともに過ごす時間も長い。衝突しかねない空気も、いつしか解消されていた。

「結局のところ、陸翔自身はそんなに変わっていないと思います。別にそれを僕たちは嫌うわけでもなく、接し方を変えたりすることもない。やっぱりみんなバレーボールをするために来ているわけですから。それに、1年生であろうと、プレー中はお手本になるような存在だったので」

 

 

中野も一人のプレーヤーとして後藤に一目置いていた

 

 

最終学年も懸命にバレーボールと向き合った末に

 

 それから3年が経ち、後藤がキャプテンを務めた2023年度。近畿大は黒鷲旗でVリーグのチームから金星を挙げ、関西大学リーグは春秋制覇、西日本インカレは準優勝と好成績を残した。そのシーズンを過ごすなか、後藤が大事にしていたことがある。

「自分がどれだけ戦いたいか。いちばんはその気持ちでした。周りと同じ練習量じゃだめ、人一倍練習しなきゃ、って」

 

 例えば、チームが週3日で設けているトレーニングも、強化するポイントを把握したうえで自分は週5日に。最終学年の春先にようやく手応えをつかんだとはいえ、サーブレシーブは決して満足することなく磨きをかけ続けた。元から備わるストイックさもあったが、後藤自身は“ハードワークする中野”の姿を思い返しては、その背中を追い続けていたのである。

 そうして臨んだ自身4度目の全日本大学選手権大会。早稲田大との準々決勝の前には中野から「今日はいけよ」というエールが届き、ベスト8だった先輩越えを目指す。だが、あえなく敗れ、後藤にとって最後の全日本インカレは幕を閉じた。

「(ベスト4に)いけなかったのは悔しいですけど、少しは倭さんに近づけたかな。返信は『負けました。』でいきます(笑)」

 日本一を目指していた以上、悔しさはぬぐえないが、その表情からは達成感が見てとれた。

 

最後の全日本インカレはベスト8で閉幕。思いを後輩たちへ託した

 

【次ページ】学生生活最後の公式戦で後藤が受けたサーブと、中野にかけられた言葉

 

天皇杯ファイナルラウンド準々決勝。ネットを挟んで対峙する場面も

 

 

学生生活最後の公式戦で後藤が受けたサーブと、中野にかけられた言葉

 

 その1週間後の天皇杯ファイナルラウンド準々決勝。リリーフサーバーで投入された中野は、ターゲットを定めた。ただし、「私情は挟めなかったです。狙いたいのは山々でしたけれど(笑) 劣勢でしたし、チームからの指示も『パイプ攻撃をつぶすように』だったので、あくまでもサイド2人の間を狙いました」。

 そのサーブを後藤が拾い上げる。一度はWD名古屋がブレイクしたが、その次のサーブも後藤が拾い、今度は近畿大がサイドアウトを奪った。

 

 ほんのわずかな時間でも。ネットを挟んで2人の思いが交錯した。

「公式戦で、この最高の舞台で後輩と試合ができたのはよかったです。陸翔だけでなく、全員の成長も感じましたから」(中野)

「意地でもレシーブしにいきました。2本ともAパスにできたので。甘い、甘い!! なんてね」(後藤)

 

 

試合を終えた直後、2人は抱き合った

 

 

 試合が終わり、整列が済んだのちに握手を交わす。目に涙を浮かべる後藤に、中野がひと言。

「泣き虫」

 辛らつ? 違う、愛情たっぷりの労いの言葉だ。その場面を振り返り、後藤も笑みをこぼす。

「そりゃあ、泣くでしょう~。4年間の最後ですから。でも、楽しかった。きつかったけれど、キャプテンをやれてよかったです」

 

 背番号「11」のユニフォームを着けて戦う日々は、ここに完結した。

 後藤は決めている。一枚は自分のものにして、部屋に飾ろう。もう一枚は「まだ誰とも話していないけれど…。2年後に同じ番号を背負うなら、ユニフォームをあげますよ」。

 テーピングでキャプテンマークを仕立てる。いつかまた、試合前のロッカールームでそんな風景が見られるときがくるかもしれない。

 

受け継いだユニフォームに、キャプテンマークのテーピングが光る

 

(文・写真/坂口功将)

 

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