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鎮西高の畑野久雄監督が80歳で急逝 思いを受け継ぎ宮迫竜司コーチが監督に

畑野久雄監督(写真は今年9月のインターハイ優勝祝賀会にて)

 鎮西高(熊本)男子バレーボール部の畑野久雄監督が、1124日に自宅で亡くなった。26日に通夜、27日に葬儀を行い、多くの関係者が名将との最後の時間をかみしめた。12月の天皇杯、そして同校初の全国三冠が懸かる来年1月の春高に向け、前日も練習試合を行っていたなかでの突然の出来事だった。

 

 

畑野久雄監督(写真は今年9月のインターハイ優勝祝賀会にて)

 

 

 畑野監督は1945428日生まれ。熊本商高(熊本)から広島県の帝人三原男子に進み、その後日本体大へ。卒業後は神戸製鋼でプレーし、アタッカーとして全日本実業団選手権連覇に貢献した。キャプテン、選手兼コーチも務めて28歳で現役を引退。1974年に鎮西高の監督に就任すると、95年のインターハイで初優勝を飾り、これまで10度の日本一に輝いた。

 

 OBでは朝日健太郎さんや諸隈直樹さんらトップ選手を輩出した。さらに現役では、日本代表の宮浦健人や水町泰杜(ともにウルフドッグス名古屋)など、芯の強い選手たちが恩師の教えを胸に活躍している。

 

 今季の鎮西高はインターハイと国スポで優勝。中でもインターハイが行われた島根県は、鎮西が初めて全国優勝し、畑野監督自身も選手時代に日本一に輝いている思い出の地だった。この時点で9度目の日本一。「あと一つ勝てば(10度の準優勝に)追いつくんですよ。準優勝のほうが多いので、恥ずかしい、ほんと」と語り、国スポでその数が並んでいた。優勝回数が上回る可能性のある来年の春高は、天から見守る。

 

 恩師の思いを継ぎ、監督を務めるのは鎮西高のOBで、2014年から二人三脚で指導してきた宮迫竜司コーチ。インターハイ、春高で21年ぶりに優勝を飾った2017年度をはじめ、指導者として6度の日本一を経験している。来年の春高に加え、来年度以降も指揮を執る予定だ。

「ほんとうにまだ受け止めることができていません。正直畑野先生のことが好きで、一緒に指導させていただくことが私の生きがいだったので、先生が監督を引退するときに私も指導を退くつもりでした」と胸の内を明かす。それでも、「このような状況なので、畑野先生の思いや指導をできる限り、継承していきたいと思います」と前を向いた。

 

 

2014年から二人三脚で指導してきた畑野監督(右)と宮迫コーチ

 

 

 チームは25日以降も変わらず練習。取り巻く環境が変わっても、畑野監督の教えである「当たり前のことを当たり前に」を貫く。

 

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