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中田久美スペシャルコラムvol.1 〜ソウル五輪〜

  • コラム
  • 2019.05.22

1988年ソウル五輪 準決勝ペルー戦

あと2ポイントが届かず、金・銀だけでなく銅メダルも逃す!

1964年東京オリンピックでバレーボールが正式競技となって以来、常にメダルを獲得してきた女子日本代表(不参加だった1980年モスクワ五輪除く)。それが初めて『メダルなし』に終わったのが1988年のソウル五輪で、当時セッターだった現女子日本代表監督の中田久美は、第5セットで10‐5と大量リードを奪いながらも逆転負けを喫した準決勝のペルー戦を「大事だと分かっていても戦いきれなかった」と振り返っている。

このソウル五輪、大会6ヵ月前に右膝を手術した中田はケガが完治しないまま試合に臨むことになるが、予選リーグ初戦で、後に優勝することになるソ連をセットカウント3‐2で下すという金星をあげる。こうして絶好のスタートを切った日本は、A組を2位で通過すると準決勝でペルー(B組1位)と対戦。ペルーには4年前のロサンゼルス五輪3位決定戦で勝っていただけに、決勝進出がかかった相手としては悪くなかった。

しかし試合が始まると、第1、第2セットをペルーに先取され、日本はいきなり崖っぷちに立たされる。それでも、第3、第4セットを奪い返し迎えた勝負の最終セット。一時は10‐5と引き離し決勝進出への光も見えてきたが、その後12‐9と迫られ、さらに12‐12と追いつかれたところから雲行きがあやしくなる。そんな中でも大林素子のサーブで13‐12と『金メダルか銀メダルまであと2点』のところまで迫ったが、ここからペルーに3ポイント連取され13‐15で逆転負け。この試合を「組み立てを変えられず、後手後手に回っていた」と改めて振り返っている中田。

この試合での力尽きてしまった日本は、続く3位決定戦で中国に0‐3と完敗。一時は金メダル、銀メダルも見えたが、結局、銅メダルも逃す結果となってしまった。

(月刊バレーボール)

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