清水邦広「120点満点のバレーボール人生だった」 ゴリラストマッチレポート(後編)
- SV男子
- 2026.08.15
日本のバレーボール界を長年にわたってけん引し、“ゴリ”の愛称で親しまれた清水邦広の引退イベント「GORI LAST MATCH Supported by 京阪」が2026年8月8日にパナソニックアリーナ(大阪)で開催された(前編から続く)
思い出の詰まったパナソニックアリーナには3,000人超が詰めかけた
出会いに支えられ、あきらめずに立ち上がり続けて
盛り上がった試合後、第1部の締めくくりでは、映像とともに清水のこれまでの功績を振り返った。照明が落とされた場内、コート中央に一人立つ清水の前に流れたのは「チーム一筋18シーズン。エースとしてチームを勝利に導いてきたあなた」という言葉から始まる、妻の坂本七菜さんがナレーションを務めたスペシャルVTRだった。10歳でバレーボールを始めた幼少期の映像から、成長して日本のエースへ駆け上がっていく光の軌跡。一方で全治1年におよぶ大ケガの場面から執念の復帰劇まで——。苦難と栄光に満ちた競技人生を振り返る温かいナレーションが流れるなか、清水は少し眩しそうに、心なしか目を潤ませながら映像を見つめていた。
現役生活を振り返るVTRをコートの上で見つめていた清水
セレモニーの最後に、清水はあいさつとして次のように語った。
「これだけたくさんのことがあれば、最後の試合のスパイクみたいに、やっぱりうまくいかないことはたくさんあると思います。でも、僕はあきらめずに立ち上がり続けましたし、それを支えてくれたのは、家族や皆さん、仲間、OBのメンバー、ゲストのメンバー、ここに来られなかったメンバーもいます。僕はたくさんの方々とほんとうに幸せな出会いがあって、こうやってバレーボールを長年続けてこられたと思っています。ほんとうに皆さんに感謝しかないです。これからもまだまだ日本のバレーボール界、大阪ブルテオンの歴史が続いていきます。皆さんの応援があるからこそ強くなれます。だからこれからも応援してください」
セレモニーを終えると、清水は2人の子どもを抱え、笑顔で手を振りながらコートを1周。ファンを魅了し続けてきた左腕で、愛おしそうに我が子を抱きかかえる姿にアリーナは温かい拍手に包まれた。子どもたちを下ろすと、かみしめるようにもう1周。足の裏から伝わるアリーナの感触を慈しむようなその姿に、場内からは惜しみない拍手が送られた。
不屈の魂を胸に、指導者としての新章へ
すべてのプログラムを終えて、イベントを振り返った清水。久しぶりにコートに立った彼の胸中にあったのは、実は「ケガへの恐怖」だった。
「今年に入ってからスパイクもほぼ打っておらず、筋力も落ちてヒザの状態も悪かったので、正直なところ始まる前は、ケガをしないかという不安がありました。ゲストにも何年もボールに触っていない人がいましたし、僕としてもヒザをかばいながらゆっくりスパイクを打った感じでしたが、無事にケガなく終わってほんとうによかったです」
度重なる大ケガや手術を乗り越え、満身創痍になってもコートに立ち続けてきた清水。そんな偉大な先輩の「不屈の姿」を見つめ続けてきた柳田将洋(東京GB)はこう語る。
「清水さんは『不屈』のイメージがものすごく強いです。どんなに厳しい状況でも、やると決めたらやりきって戻ってくる姿をずっと見せていただきました。バレー界だけでなく、多くのアスリートに勇気を与えている存在だと思います。僕自身も2019年にケガをしたとき、復帰して戦う清水さんの姿を思い出してリハビリに励みました。アスリートという職業は、やめるのはほんとうに簡単で、あきらめたら次の一歩が出ないと思っています。でも、清水さんは一歩を少しずつ出し続けるすごさを体現してくださっているので、僕も負けないようにという気持ちでいます」
第2部、フランクな雰囲気のトークショーでは思い出話に花を咲かせた
また清水は、このイベントで元日本代表セッターの佐藤美弥さんをコートに招いた“特別な理由”についても明かしてくれた。
「藤井(直伸さん)とは、病気になってからも一緒にごはんに行ったりして、そのときに『治ったら俺にトスを上げてや』と約束していたんです。それがずっと引退に向けて心残りで、このイベントが決まったときにすぐに美弥さんに連絡しました」
佐藤さんからのトスで見事にスパイクを決め、藤井さんとの約束を果たした清水。「美弥さんのトスはいちばん打ちやすかったです。どちらの深津よりも打ちやすかったと書いておいてください(笑)」と冗談を交えつつも、長年の心残りを晴らし、清々しい笑顔を見せた。
清水が「ぜひ上げてほしい」と依頼した、佐藤美弥さんのトスをスパイク
自身のバレーボール人生を振り返っての点数を求められると、清水はかみ締めるように答えた。
「個人としてはそんなに高くはないですが、みんなに支えられたという意味では『120点満点』のバレーボール人生だったなと思います。悔しかったり、苦しかったり、痛かったりする時期もたくさんありましたが、支えられてもう一度立ち上がることができました。これからは指導者として、僕を超えるような左利きのオポジットや選手を育てられるように一生懸命進んでいきたいです」
どれほど痛みにさいなまれ、ヒザが悲鳴をあげようとも、最後の一球までファンに笑顔と夢を届け切ったサウスポー。幾多の困難を「不屈の魂」で力に変えてきた背番号1のストーリーは、感謝に包まれたこの日を境に、情熱を胸に秘めた若き指導者としての新しい章へと引き継がれていく。
参加したメンバーたちと
取材/フジサキヒロ
■清水邦広「120点満点のバレーボール人生だった」 ゴリラストマッチレポート(前編)






















